日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

ドラマチックにさせてしまう

きのう、こんなツイートをした。

 

「ふと、手にとったものが」とか「なにげない会話の中で」とか。注意さえしていればいろんなところからヒントがもらえる。と、信じているので、日常の中だけでなく旅や小説などで出会った人や言葉に「いま出会うからにはなにか意味があるのかな」なんて。ドラマチックに考えすぎてしまう。(そうやって気持ちを盛り上げてたのしみたいというのもある)

 

過去、一人旅をしているときに、見ず知らずのおばあさんから「見て、聞いて、触って、体験することが大切だよ」と。旅という非日常のタイミングで出会ったその言葉がすごく重要に思えてずっと心の支えになったりもした。

 

きのうも娘が夕方曇り空を見上げてぽつり。「きのうの夕方から世界はかわってしまった」なんて言うからどきっとした。それが、決していい方向ではないと言うのだ。こどもの気まぐれな発言にも、「このメッセージ…なにかが起こるのでは」と心が揺さぶられてしまう。

 

目に留まるものとか、心に引っかかるものって、自分が無意識にでも意識しているもので。無関心なものは通り過ぎて行くんだろけれど。わたしのまわりではどれくらいのものが毎日通り過ぎてるんだろうか。すくい取れず気づかないことの方が圧倒的だとも思った。