自分の言葉
今、桜林直子さんと土門蘭さんの共著「そもそも交換日記」を読んでいる。2020年3月から始まった2人の交換日記。本には約1年間の出来事がおさめられている。で、今ちょうど半分くらいまで読み進めたところ。コロナが猛威をふるっていた時期で、先が見えない当時の空気感がありありと目の前に浮かんでくる。
私は桜林さんも土門さんも大好きで、いつもSNSでの発信を追っているのだけれど、これまで歩まれてきた背景を知ると、今まで以上にお二方の言葉が重く響いてくる。どうしてこうも自分と誠実に向き合うことができるんだろう。と、それが本を読み進めている中で自分が感じることだった。
私は自分の過去にふたして、もう開けないように、そこにふたしたこともなかったかのように、生きてきたと自覚している人間なので、お二方と比べるとそんな自分自身がすごく小さく感じる。いや、それはもう小さくて全然かまわないんだけど、、逃げずにちゃんと向き合ってきた人がもつ自分の言葉…それが輝いてみえる。
何が言いたいのかというと、自分の言葉をもつことの偉大さ。過去にひきづられないようにあえて、ある一部分では自分の心をなくしていきてきた自分だからこそ、こうして過去を受け入れて自分の言葉をもって語れる人たちがすごくまぶしいんだ。
嫉妬とかではまったくなくて、その勇気がすごいなとただただひれふすような気持ち。そんな気持ちも今感じている正直な想いだから残しておこうと思ってブログに書いた。
日記
この週末、久しぶりに帰省している。土曜の午前中、娘の小学校で授業参観があり、週明けの月曜日が代休になる。今まで代休を利用して実家に帰ることはなかったが(盲点だった!)、これって少しでも人混みをさけられるチャンスなのでは?と気づき2週間ほど前に伊丹→羽田行きの飛行機を予約したのだ。
両親と会うのは1年に1~2度ほど。だから、いつも会った瞬間に、これまで流れていた時間の長さを痛いほど感じてしまう。もっと会いに来ないとダメだと思い知らされる。でも、それは一瞬のことで、話をすると、一気にその間の時間が埋まる。お互いに歳はかさねていくけれど、その中で自分が知っている親の姿、変わらない部分を見つけてほっとするからなのかもしれない…
明日は、コロナ禍でほとんど遊びに出歩かなくなってしまった両親をさそって横浜のホテルに泊まる予定。少しでも非日常を感じてもらえたらうれしいな…
43歳
「バトンタッチできた?」
明け方、娘がわたしの布団にもぐり込んできて、そう尋ねてきた。
「ん?あ、うんうん。バトンタッチしてきたよ。待ってた、うずうずしてた。飛んでやってきた」
そう伝えると、娘は「楽しみにしてたんだね」と目を細めて、そのまますっと眠りの世界に戻っていった。
なんの話をしているかというと、誕生日の話である。
娘との間で、誕生日は「月」に戻って新しい歳の自分とバトンタッチをすることになっているのだ。
それぞれ誕生日を迎える前夜、「じゃあ、明日から新しい人、来るんで」と断りを入れてから眠りにつく。
昔はそれで「今のお母さんにはもう会えないの?」と大泣きされてしまったのだが…今じゃすっかりネタとなり習慣化されてしまった。
さてさて、そんなわけで本日43歳を迎えたわたし。どんな1年になるんだろう。受け取ったバトンをちゃんと来年につなげていけるようにしないとな。
娘曰く、これまでの自分も、これからの自分もどうやら月から見ているようなので──。
初めてのEbook
今月は初めてEbook(電子書籍)に挑戦する。しかも2冊。1年に数回ほどお仕事をさせていただいている、あるマーケティング会社からの案件。「そういえば、山田さんEbookって書けるんだっけ?」と何気なくメールをもらったのだ。
いえいえ、初めてですよ。まず、どうやって書けばいいのか…わたしにはハードルが高すぎるかもです…と一人ドギマギしながらメールを返す。すると、そんな心配をよそに、「いつもの通り(セミナーのWeb記事化)のやり方で構わないから」とのこと。あっ、そうなんすか。(初めてだと言ったぞ、大丈夫?本当に?信じるよ?)それなら…とスケジュールだけ確認して、あとは何とかなるだろう(何とかしなければ)と引き受けたのだ。
と、これはよくある話で。そのあと「あぁ、自分のキャパをオーバーしているじゃないか!!!」と青くなりながら必死に仕事をする。それまでがセット。今回は、そうならないことを祈るしかない。
とはいえ、初めての仕事に飛び込むときって、みんなそういう感じなのかな。とにかく先が見えない、やるしかないというシンプルな世界。そう、走り出せばかならずゴールがある。引き受けたからには全力で…
(そりゃ、中にはいろんな失敗もありますよ…凹むことも多いですよ…ここでは書かないけど)
ライター6年目、反省
最近、意識していろんな本、雑誌を読むようにしている。できるだけ紙で。普段は、仕事で必要なビジネス関連の記事ばかり見ているので(難しいよ…とのたうち回りながら…)、ビジネス関連から離れて全然関係のないジャンルを選ぶようにしている。
特にいま興味あるジャンルは、自分と同世代(40、50代)もしくは親世代(70代以降)の女性の話。生き方とか、心の持ち方とか。それはたぶん、これから訪れるであろう更年期や家族の健康問題(認知症、介護)、老いていくこと、そういった問題を、上の世代の人たちはどう受け止めて、どうやって乗り越えてきたのか、もしくはどうやって乗り越えようとしているのか、いろんな話が聞きたいのだ。
この「知りたい」という興味があればぐんぐん読める。雑誌で言うと、婦人公論とかクウネルあたりかな?「生きていればいろいろあるけれど、それでも前を向いて生きてますよ」とインタビュー内で語られるメッセージに「そうだよね。皆いろんな葛藤抱えてるよね」とうなずいてしまう。一つ一つの言葉がすごく身近に感じるからきちんと腑に落ちていくのだ。(本当はもっと複雑で折り合いがついていないこともいっぱいあるだろうけれど。紙面の中でうまくまとめられていることも多いだろうけれど)
かたや、普段のビジネス記事(書く側の立場として)はどんな状況?とあらためて自分に問いただしてみると…きちんと調べる、調べるけれど難しい部分が多くて、まずは編集者さんに対して「(おそる、おそる)書きました」みたいな気持ちになってはいなかったか。
それってすごくおかしい。だって、婦人公論やクウネルを見て、私は毎回「すごく勉強になった」と思うんだけど、それをつくっている人たちが「われわれは、女性の気持ちってよくわからないけれど、こういう記事はいかがでしょう?」なんてしていたら絶対にいやだもん。というよりも、そうしていたら読者はすぐに気づく。そうじゃないから、ちゃんと言葉がリアルに伝わってくるんだ。
ビジネスの案件は正直難しい。知らない用語も新たな概念もたくさん登場してくる。でも、まずは不安な気持ちがゼロになるまでしっかり学んでから記事を書かなければ。忙しいと、納期との勝負で記事を書くことが目的になってしまう。でも本当に大事なのは読者にとって「いい記事」でなくてはならないということ。それ、ちゃんと意識してた?できていなかったのではないか?ライター6年目、もう少し視点を変えて、いや、視座を上げていかないと成長できないぞ…。
日記
今年は1度もブログを書かないまま2022年が終わってしまいそうだったので…久しぶりにブログを開いた。
懐かしい気持ちで過去記事を読んでいると、その当時過ごしていた時間と、あえて言葉にしなかった想いがありありと蘇ってきて不思議な感覚に陥る。過去に気持ちが戻るというよりも、今の自分に向かって過去の自分が重なってくるかのよう。ようこそ、いらっしゃい。
「過去の自分は、未来の自分を知らない。けれど、今の自分は過去の自分よりも少しだけ先の未来を歩いている」あたりまえのことなんだけど…それに気づくと、過去の自分の言動がすべて健気なものに感じる。なんて思っている自分も、未来の自分からはどんな目で見られるのだろうか。ちゃんと自分で歩く。だから今を温かく見守っていてほしい。
いい本発見
先日ツイートに流れてきた瞬間、
WORDSメンバー全員で論理力高めていきます pic.twitter.com/g9o7XRT2z8
— 竹村俊助/編集者 (@tshun423) 2021年11月17日
これは絶対に購入すべきだと思いすぐに注文をした。
さっそく届いてすぐに読みだしたけれど、これがめちゃくちゃ面白い!各「問題」で頭を使って「解答」で腑に落ちる。野矢氏の解説が爽快過ぎてまるで推理小説を読んでいるみたいだ。調べてみると同著者の『大人のための国語ゼミ』もかなり評判がいい。
もっとわかりやすい文章を書けるように、論理的な力を身につけたい。そのために毎日ちょっとずつ勉強していこう。いい本と出合えてよかった!