日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

平日なので

今週は、至急の案件が続いているので、本来の仕事がどんどん後回しになって行く。まだ2月の前半だけれど、心配性なわたしは今月末の納期が気になってしかたない。絶対にやれる、絶対に大丈夫ってドンと構えられる強さが欲しい。

 

ところで明日は朝から小学校の説明会(体験会)があり、午後は保育園をお休みすることになった。

 

わたし「おかあさんは、明日は家で仕事するよ。いっしょに遊ぶことができないけれど、保育園へ行ってお友だちと遊んだほうが楽しいのでは?」

と提案。

しかし娘は「おかあさんはしごとしてて、いいよ、じゃましないよ」と言うではないか。

 

これまで娘と一緒の時は、すぐに話しかけられてしまうため仕事はできないと諦めてきた。けれど、お母さんの平日は完全な仕事モードなのだ。娘よ、ごめんなさい。その分、3連休はたっぷり遊ぶぞ~

雑記

今、娘のスイミング教室にきている。いつもは木曜日のクラスだが、明日は保育園で懇談会があるので今日に振り替えたのだ。

 

いつものコーチじゃないという理由で娘はテンションが低い。今週は行きたくないと何度も言っていたが、ただではないのだ、正直私としては休んでほしくない。

 

ところが、娘を迎えに保育園へ行った際、娘の着替え、おにぎり、おやつ、ジュース一式忘れていることに気づいた。用意をしていて忘れるなんてもう、ほんとドジ。

 

どうしよう、家へ取りに戻る時間もないし、でも娘に忘れたなんて言ったら、今日は絶対にプールに行きたくないって言われちゃうかもしれない。

 

ということで、ずっと封印していた秘策を提案。スイミング教室の自販機でアイスを買おうか、とひとことかけたら、朝の低いテンションはどこへやら。うきうきでスイミング教室へ向かった。娘の単純さに救われた。

 

 

一歩すすめるのか?

12月に、とある企業に応募をしていた取材案件、きょう先方から返信をいただけた。正式な契約や具体的な日程はこれからだが、うまくいけばはじめて取材の仕事ができるかもしれない……当日おそらく緊張はするだろうけれど、今できることはその日のために、家族みんなの体調管理と他の仕事との調整(前倒しに進めていかなければ)をちゃんとしておこうと思った。あと確定申告に向けての準備も。きょうは朝からずっと、家で黙々と作業しているがあっという間に日が沈んだ。

 

 

 

雑記

週末に至急でインタビュー記事(音源あり)を2本受けた。インタビュー記事は、最低でも1本2日間はかかる。なんとか、2本を3日、もしくは3.5日で仕上げたい。今週は、保育園の懇談会や小学校説明会が控えているので、稼働できる時間も少ないから要領よくやらないと。心を乱さず、できることを淡々とやっていきたい。

 

と、このブログを書きながら、じつは夫が先日、生の牛タンの塊を大量にもらってきたので、いまデミグラスソースでタンシチューをはじめてつくっているのですが、牛の舌が大きくて、包丁で切りわける時に、恐怖心におそわれた…いつもお肉は食べているので、グロテスクだなんていったらすごく失礼な話なんだけれど、今後牛タンを食べることはできなくなるかもしれない、、まさか、料理で心乱れるとは。

模索中、娘とケンカにならない方法

怒られたくない娘と、怒りたくないわたしは、お互い意見が一致しているもののぶつかり合いはさけられない。どうしたらいいんだろうと、毎回一緒に考えてみるんだけれど、その1つに「お互い言葉に気を付けよう」という結論になった。

 

怒る、怒られるような発端は、もしかしたら些細なことなのかもしれないけれど、言い方によってカチンとくる。わたしとしては、気づいてほしいという気持ちから言葉が強くなるし、負けず嫌いの娘はそれに負けまいと言い返してくる。で、お互いに嫌な気持ちになるのだから、やっぱり言葉なんだなと思う。

 

娘曰く、指図されるよりも自分で気づきたいらしい。

 

わたし「じゃあ、どうしたらいい?気づいてほしいときに」

娘「肩をたたいてほしい、それで気づくから」

 

本当なのか、それで気づいてくれるのだろうか。お風呂に入ろうも、忘れものをしているよも、ゲームしすぎじゃないのも、本当に肩をたたいて気づくのかな。

 

わたしだったら、突然肩をたたかれるほうが嫌だけれどな。娘は言われるくらいなら肩をたたいてほしいというので、さっそくきょうからそうしてみることにします。

 

雑貨めぐり

 

昨日は朝、娘を保育園へ預けてから電車で梅田に向かった。1カ月に5記事、雑貨の記事を書くことになったのだ。(そのうち1記事は自由に書いていいと言ってくださった)

 

ネットで下調べをしていたので、実際に実物を目にしたときは、会いたかったものに出会えた喜びや懐かしさのような気持ちで親近感がぐっと増す。

 

これが〇〇か。こうやって使ったらおしゃれだなと、イメージをわかせながらショップを巡る心地よさといったら。

 

思えば、娘が生まれるまえは、東京や横浜、京都、金沢、、いろんな土地の雑貨や伝統工芸をみてまわるのが好きだった。そんな日々を思い出して懐かしい気持ちになる。

 

 

 

チャーミングさで解釈

Web上で出会った素敵な文章を抜粋。

 

どうして敏感であってはいけないと思っていたんだろう?

それはたぶん、敏感に受け取りすぎると、キャパオーバーしたりし、何もかもシリアスになってしまったりして、だんだんとダークサイドへ向かってしまう自分が嫌だからではないでしょうか。だから、悪い方へ落ちないためには、センシティブであること自体をやめよう、鈍感であろうとなってしまうわけです。

(略)

ダークサイドへ向かわないためにはどうしたらいいか?

それには、受け取ったものをチャーミングに解釈する力が必要です。

敏感さが自体がいけないのではなく、それをどう取り扱うかというところに、本当の秘訣があります。

チャーミングに解釈するというのは、物事の良い面だけを見ようということではありません。まずは客観的にそのことをとらえ、良いも悪いもふつうもわかった上で、今度は自分の主観で、これがこうだったら面白いよね、楽しくなっちゃいそう、という方に近づけることかな、と思っています。

(略)

その中で、チャーミングに解釈し続けることは簡単ではありません。シリアスにならず、ダークサイドに落ちないためには、チャーミングに解釈できる自分でい続けようとする強い意思が求められるなぁと。…

 

これは、「北欧、暮らしの道具店」の採用のページに書かれていた文章だが、本来はもっと長い。(※ちなみに、この会社ではチャーミングさで受け取れる力と、さらにアウトプットができる人材を求めているよう)

 

これまで「わからない、見ない、知らない」そうやって鈍感になれば、傷つくことから逃れられるかもしれない。と思っている部分があった。

 

けれど、わざと無知になるやり方は、いつかは本当の無知になっていく。

 

そうじゃなくって、すべてを受け入れた上でチャーミングに解釈をする。

 

こういう心が豊かな方法でモノゴトをとらえる事ができれば、自分に嘘をつくことも、傷つけることもないのかもしれないと深く考えさせられる文章でした。