チャーミングさで解釈
Web上で出会った素敵な文章を抜粋。
どうして敏感であってはいけないと思っていたんだろう?
それはたぶん、敏感に受け取りすぎると、キャパオーバーしたりし、何もかもシリアスになってしまったりして、だんだんとダークサイドへ向かってしまう自分が嫌だからではないでしょうか。だから、悪い方へ落ちないためには、センシティブであること自体をやめよう、鈍感であろうとなってしまうわけです。
(略)
ダークサイドへ向かわないためにはどうしたらいいか?
それには、受け取ったものをチャーミングに解釈する力が必要です。
敏感さが自体がいけないのではなく、それをどう取り扱うかというところに、本当の秘訣があります。
チャーミングに解釈するというのは、物事の良い面だけを見ようということではありません。まずは客観的にそのことをとらえ、良いも悪いもふつうもわかった上で、今度は自分の主観で、これがこうだったら面白いよね、楽しくなっちゃいそう、という方に近づけることかな、と思っています。
(略)
その中で、チャーミングに解釈し続けることは簡単ではありません。シリアスにならず、ダークサイドに落ちないためには、チャーミングに解釈できる自分でい続けようとする強い意思が求められるなぁと。…
これは、「北欧、暮らしの道具店」の採用のページに書かれていた文章だが、本来はもっと長い。(※ちなみに、この会社ではチャーミングさで受け取れる力と、さらにアウトプットができる人材を求めているよう)
これまで「わからない、見ない、知らない」そうやって鈍感になれば、傷つくことから逃れられるかもしれない。と思っている部分があった。
けれど、わざと無知になるやり方は、いつかは本当の無知になっていく。
そうじゃなくって、すべてを受け入れた上でチャーミングに解釈をする。
こういう心が豊かな方法でモノゴトをとらえる事ができれば、自分に嘘をつくことも、傷つけることもないのかもしれないと深く考えさせられる文章でした。