日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

「大変さ」の比較はしたくないなと思った

朝から娘と些細なことで喧嘩になった。

 

娘は自分が嫌な思いをしたからという理由で「おかあさんにあやまってほしい、ごめんねっといって」と強要してくる。

わたしとしては、嫌な思いをさせようという気持ちはまったくなかったので、ぜったいに謝るもんかと意地になる。

 

私「じゃあ、どっちが悪いのか、保育園の先生に決めてもらおう」と先生に判断を委ねることを提案すると(親としてどうなんだ、という問題はある)、娘はあっさりと引き下がった。ただわたしの中でモヤモヤが残る。

 

娘にたいして、「ごめんね」の一言をさらっと言えばすむ問題だったのに、なぜか頑なに言いたくないという自分のキャパの狭さ。もとをたどれば、自分自身の問題。

 

台風21号の影響でまだ普段の生活に戻れない人や、

今回の北海道地震で大変な思いをされている人たちもたくさんいる中で、(それ以外にも大変な人はたくさんいる)

 

自分が経験をした台風の被害なんて比べものにならない。

1日停電したので、買いためていた冷蔵庫の中身をほぼ捨てたぐらいだ。

 

命も家も助かった。それなのに、冷蔵庫の中身をもったいないと感じた自分の心の狭さ。もっと大変な人がいるなかで、こんなことで落ち込む自分自身にイライラしていたのだ。

 

今回のことで思う。

今後、なにかまわりで起きたときは、「大変だったね」の一言にしよう。 

けっして「○○しなくてよかったね」など、大変さの比較はぜったいにしないようにしようと思った。それは、本人が決めることだから。