居続ける、感覚
江國香織さんの「物語のなかとそと」を読んでいる。「書くこと」「読むこと」「その他周辺」の3章からなっていて、さらに短いエッセイがたくさんつまっている。
その中で印象に残ったのが「読むこと」の中からの1節。
読むことはよく旅にたとえられる。その比喩もわからなくはないのだけれど、私はむしろ、ここに居続けること、の方に似ていると思う。いまでこそ旅も好きになったけれど、子供のころは旅なんか好きじゃなかった。でも、本を読むことは好きだった。旅にでると、私は旅先に行ってしまう。あたりまえだけれど。旅先に行ってしまえば、そのあいだはここにいられない。
こういった感覚的なものをいつもうまく表現される江國さんは本当にすごい。
わたしは、小説を読むことは旅と似ていると思っている。その場所へ(本の中へ)で出かけていくこと。現実とは異なった世界は本の中はあって、自分から飛び込んで行くもの。
でも、たしかに活字を追っている自分は現実の方にいるのだ。そして、現実の方では確実に時間は進んで行く。本に没頭していると気づかないけれど、いつのまにか部屋が薄暗くなっていたりすると、長い時間、ここに居続けた現実も同時に存在していることに気づく。くらくらするようなこの感覚!
最近は、夢中になるくらい(時間が経ったことをあとから気づくくらい)本に没頭できていないからそういう時間がとても恋しくなった。