誤解されたくないという気持ち
これまで家族に対しても、子育てにおいても、「言わなきゃいけないことはしっかりと言おう」という思いがあった。誤解されないようにちゃんと伝えることが、親しい人には礼儀だという思いもあったのだと思う。
けれど最近は、本当にそれでよいのだろうか、そう思うことが結局は自分のエゴなのではないか、と考えるようになった。
話は飛ぶが、実家の母親は相手のためという名目で思ったことをはっきりと言うタイプ。一方、父はあまり細かいことは言わないタイプ。だからどうしても母の意見が前に出る。それが気になって実家に帰省した際に、父に「間違っていることは、間違ってるってちゃんと言った方がいいんじゃない?」と問うと、父は「正したところで、どうなる?」と言った。
そうか、母は言いたいことをいう、父は波風立てず言わせたいことを言わせてあげる、内容うんぬんじゃなく、そうすることでいつも通りな状態を保っていたのか。父の対応は大人だなと思う反面、負けず嫌いなわたしは簡単に受け流すことはできないだろうなと。理解できるけれど腑に落ちるところまではいかなかった。
けれど最近、ちょっとまた考えが変わってきた。意見をいうのはいい、思いを伝えるのもいい、だけれどそれが相手に届くかどうかはまた別の問題だと思うようになったのだ。
自分の意見を持つことはすごく大事なこと、それを相手に伝えることも大切。けれど言葉にして伝えた時点で、相手の受け止め方まで気を配る必要はないのかもしれない。だから「ぜったいにわかってもらいたい」というエゴはもうなくそうと思う。
とくに子育てにおいて。娘とよく喧嘩しちゃうのはその思いが強すぎたのかも……逆に思いを汲み取ってくれる人と出会うと感動する。思いが伝わるかどうかは、相手にもっと任せよう。