日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

先手を打つ人たち

昨年会った時は、パカ式の携帯を握りしめ「スマホなんてわたしにはムリムリ」と言っていた身近なシニア世代が、この1年の間で立て続けにスマホデビューをしている。

 

写真がきれいだよ。LINEは便利だよ。

と、なるべくシンプルにわかりやすく言い続けていたのに、「家にパソコンがあるし、別に外でネットなんてしないしねぇ。よくわかんないし」というやりとりを何年もしていたのだ。

無理やり、すすめるのもよくない。けれど、頑なに否定をする人にはそもそも言葉は届くものではない。

 

それが、〇〇ショップの人に言われたから。と、愛用している携帯会社の人が言うなら大丈夫と簡単にスマホへ乗り換えた。

 

担当者がどんな人物かというよりも、〇〇ショップというブランド力が大きいのか。

 

スマホに対する漠然とした憧れはあったのかもしれない。けれど、行動へうつす最後のひと押しは結局、ブランドの力や世の中の流れが大きいのだと痛感する出来事でした。

 

ブランド力に背中を押されたい気持ちもよくわかる。とにかく、はじめてのことは安心がないとすすめないのだ。

そして、そういう流れでやってきた人たちもどんどんスマホを持つようになっている。

 

Webライターという職業は、個人の仕事。ブランド力はよほど世の中で影響力を持たない限り、身に着けることはできないかもしれない。

では、個人としての信頼はどのように得て行くものなんだろう。

 

と、ここまで考えてみて、そもそもwebライターという仕事は、依頼を受け情報を発信する仕事で、そこに個人というものがあるのかないのかが、今のわたしにはわからない。

 

でも、その中でも、気持ちに寄り添ってくれるような魅力的な文章に出会うとたちまち心は動かされてしまう。そして、そういう心に響く文章が書けるようになりたいのです。

 

それにしても、新たな変化が起きたときにいち早く行動できる人は、スマホを持つのもおそらく早かったでしょうね。

なんでも、試してみようとフットワーク軽く先手を打つ人たちが成功をしていくのでしょうか。

 

まぁ、こんなことを言っているわたしも気になる「レーシック手術」に関しては二の足を踏んでいる状態で。「いいよ」という声をたくさん聞いているのですが。

えい、っと挑戦してしまう勇気がないのです。背中を押されたい。安心が欲しい。一緒ですね。