日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

雑記、食べたくなる

どうしてもお寿司が食べたくなったのでお昼1人でスシローに行った。フリーランスになって1人で回転寿司に行くのは今回で2回目だ。1人で行くことに関しては何も抵抗はないのだけれど、娘を保育園へ預けながら楽しそうにお寿司をほおばっている姿は誰にも見られたくないので葛藤している。

 

娘を保育園へ預けているあいだは、平日の日中に好き勝手なことをしていると、仕事をしていない人に思われるのではという罪悪感があるのだ。本当はジムにも通いたいが、それは娘が小学生になってからだと自分の中で我慢をしている。

 

先日1回目のスシローは、ちょっとコソコソしてしまったが、きょうはさらっと行ってカウンターで4皿だけ食べて帰ってきた。調子にのって次回からは気にせず堂々と行ってしまいそう。けれどそういう時に限って知り合いに会いそうなので油断はできないというしょうもない話。明日も仕事がんばります。

 

考えること

今、新たに水面下で進められている企画がとてもセンシティブな内容なので、クライアントさんから意向を詳しく教えてもらうことができてありがたい。その上で、ライターとして、また一読者としての意見を聞いてくださったり、構想を教えてくださるのでわたしもできる限りいいものをつくりたいのです。

 

記事の中でわたしにできることはなんだろうか。もちろんインパクトも大事だけれどそれを読んだ人がどう思うのか、気持ちが救われるかも大切で……世間的に賛否両論分かれる内容なので慎重に深く考えなければ。大きなやりがいのある仕事を与えてくださったことに心から感謝。今年もあと2カ月、日々学びながら今できることをがんばろう。

規則正しいライター生活

今年の1月から本格的にWebライターの仕事をスタートして、まったく変わらないのは仕事に対する気持ちだ。朝、Twitterにも書いたが、

という気持ちは変わらない。もし、朝や夕方に保育園への送迎がなかったら、一日中ずっと仕事をしていても飽きないのではとさえ思っている。とくに、最近、積極的に睡眠をとっているので、日中の集中力が増しているわりに身体は疲れない。

 

振り返ってみると、この1年の前半(夏ぐらいまで)はひどい生活リズムで過ごしており、それが影響してメンタルは弱くなりがちだった。その思いが文章にも出ているような気がして当時書いていた記事を読むとなんだかすごくせつなくなる。時間を戻すことはできないし、納品してしまった記事を取り下げることはできないので、自分でせつなくなるような、そんな記事を書いてしまう仕事のやり方はやめようと思った。

 

とにかく、フリーランスで10カ月働いて思うのは、当たり前だけれど健康が大切で、それは自分で守らなければならないということ。Twitterを見ていると、多くのライターさんが睡眠不足に陥りながらぎりぎりの状態で働いている。(とくに月末)。わたしが目指したい将来の道は規則正しいフリーランスのライターだけれど、そんな悠長なことを言っていたら仕事はこなせないのだろうか。

答えが見えないもの

自分でもわかっていたが、わたしは子育てが苦手だ。気まぐれで、好きなことだけをやって暮らしたいわたしにとって、人を育てるというのがものすごく試練なのだ。それと、自分には足りない部分が多すぎると自覚しているので、「親の背中を見て子供は育つ」といわれるとプレッシャーでならない。

 

温かく見守ることも苦手で、すぐに口を出したくなる。おせっかいにできる限りフォローしてあげたくなる。そんな自分に疲れて土日はぐったりなのだ。今は保育園へ行くようになって、平日に自分を取り戻せるようになったが、子どもが小さい時は気分転換がとてもむずかしかった。

 

仕事が忙しすぎると、子どもを見てあげることができないと悩み、逆に子どもを見過ぎているとお互いに自立ができないんじゃないかと悩む。たぶんわたしは子どものことで一喜一憂しすぎている。どんなに考えたって、悩んだって、今子育ての正解がわかるわけではないのに、わたしは今、目の前に起こっていることしか見えてないのかもしれない。

 

失敗や間違いをきっかけに、人は成長ができると思っているのに、子どもに関しては、それを許していない。その矛盾に気づいた。わたしも親として、失敗や間違いだらけだなのに。

 

すぐに答えが知りたい、という気持ちは子育てでは通じないってことを、あらためて考えさせられる週末でした。

雑記、週末のイベント

きのうたまたま駅前の公園で開催されていたイベントで和太鼓のショーをみた。男女15人ほどが息を合わせ、全身全霊をかけて踊るように太鼓を叩く圧巻の姿。見惚れてしまうほどかっこいい。和太鼓がどぉんと鳴り響き自分の心も体も揺さぶられるれるとなぜか涙が溢れてきた。でも、隣には娘がいて友人親子もいたので、涙をこぼさないように理性で止める。そういえば、娘を出産するとき、なぜか頭の中でずっと鳴り響ていたのが和太鼓の音だった。陣痛が押し寄せてくるたびに、和太鼓が強く激しくなる。暗闇の中で、ぜったいに破かれない鉄の壁を持った人と、無謀にも鉄の壁をやぶろうとする人いて、その戦いを和太鼓が盛り上げているのだ。みんな真剣だ。長すぎる戦いだった。(なんの話……)きょうは、娘の習い事のイベントでハロウィンパーティーへ行く。昨年着た紫色のコウモリドレス、背中に羽がついている。

身の丈を伸ばしたい

 

Twitterでも書いたが、これまで「身の丈に合わせる」という考え方がとても窮屈だった。「身の丈」というのは、持ってうまれたもので一生変わることのない定めのようなもの。だから「身の丈に合わせて生きましょう」と言われると、自分の能力以上のことはしてはいけませんよと言われているように感じていたのだ。

 

それはあくまで精神面の話。経済的にゆとりのない状態で好き勝手にお金を使っていたら大変なことになる、身の丈に合った暮らしというのはよくわかる。

 

自分の性格は決して自信家ではない。とくにライターの仕事では自分の未熟さをいつも感じていて落ち込んでしまう。このままではダメだ、もっと勉強しなければという思いがある。これが身の丈だとしたら、わたしはなにも挑戦できない。けれど、身の丈が努力で伸ばせるということがわかったのだ。自分で自覚しているキャパの狭さを、自分の努力で広げることができるのなら努力は惜しまないぞという気持ちになった。

 

 

きのうの結果

どきどきしながら夕方保育園へ迎えに行くと、娘は満面の笑みで「おべんとう、うれしいきもちになったよー」と教えてくれた。どうやら娘を満足させることに成功したらしい。早朝5時30分に起きて、せっせとつくった甲斐があった。

 

今回ははじめて、ニンジンをお花に、ハムを星型にくりぬいたりして、キャラ弁ではないけれど、全体に華やなお弁当になるよう仕上げてみた。それがよかったらしい。喜んでもらえると、幸せな気持ちになる。という気持ちを忘れないようにブログへ残しておこう。次回のお弁当日はもう少し余裕が持てるかな。

 

帰り道、娘が「こんどは鬼太郎つくって~、いったんもんめとか、ねこむすめとか、」とキャラ弁を要求してきた。それは、むりだよ。と言いながらも、なんだかんだ娘の気持ちに全力で答えてあげたくなる。