自分の「言葉」
2017年12月から始めたこのブログ。当初は書く練習のため毎日更新をしていたが、今年はほとんど更新することができなかった。1つはライター業が忙しかったという理由はある。けれど、本当の理由は自分の言葉を見失っていたからだ。
仕事が忙しくなればなるほど、早く仕事を進めるために型に頼った文章を書いてしまったり、誰かの言い回しをうまく繋げているような(コピペをしているわけじゃない)気持ちになったり。そんな毎日を過ごしていると自分で考える力がどんどんなくなっていく。
先日、高山なおみさんの『本と体』を読んだ。そのなかで写真家の斎藤陽道さんと手記を通じて「言葉」「ことば」について語り合う場面があるのだけれど、耳の聞こえない斎藤さんの言葉には”うそ”がなく感じたし、それにちゃんと向き合おうとする高山さんもすごく真摯で…
わたし自身、忙しさにかまけて、急いで文章を書いたり、言葉を発していたことが急に”つくりもの”(ホンモノの反対)をしているような、いろんな感情にとらわれた。
ライター業にとってクライアントが求める早さは大事。身を削るような思いで書いていたら身体がもたない。けれど自分が”つくりもの”をしているような仕事はしたくないなと思ったのでした。