日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

京都で。交錯する思い。

予定通り京都へ行った。最後に訪れたのは娘を妊娠していた頃だから、約6年前!

 

娘が生まれてから、時間の流れがかわった。6年という月日は、わたしにとってほんの1、2年前に感じる。びゅんびゅんとすごい勢いで過ぎ去る日々に、どこまでがゴールかわからないけれど、昔とちがって終わりへむかっている感覚はある。

 

日頃、母親としての自覚はあまりなく過ごしているけれど、娘を妊娠してわたしは大きく変わった。人によって妊娠中に味覚がかわるという話は聞くけれど、わたしは趣向が変わったのだ。

 

なぜか、温かいもの、ハッピーエンドなものしか見られなくなり、不安な気持ちにさせるような映画や本、ニュースが突然見られなくなってしまった。

 

ちょっと、話は変わるけれど。わたしは、大の歴史好きで「京都」という言葉を聞くだけで胸がどきどきするほど、ずっと京都に恋をしてきた。

 

実家(神奈川)に住んでいた頃から、しょっちゅう訪れ、結婚して大阪へ越してきてからも何度も行っていた。東京から遊びにきてくれた友人や家族を連れて京都を得意げに案内をすることもあった。時間があればありとあらゆる京都情報を集め勉強をしていたのだ。(のちにそれがwebライターとして役立てることができたのですが、当時は趣味だ)

 

2012年。臨月でなかなか遠出ができなくなってきた頃、夫がチケットをプレゼントしてくれた。今でも覚えている。神戸三宮の美術館で平野清盛展が開催されていたのだ。

 

それまでのわたしだったら、なんてすばらしいプレゼントなんだと感極まって喜ぶはずが、妊娠によって変わってしまったのか、その時完全に歴史とかそういったものに興味を失っていることに気がついたのだ。ものすごく衝撃だった。

 

自分の人生から、好きだったものがなくなるということは、案外あっけなくさみしいものだ。

 

京都も同じように、もう興味がなくなっているかも。と。本気で愛していたからこそ、シラケてしまうのがこわく近づくことができない。(なんだかおおげさですが)

 

6年の月日を経て京都へ行く。というのは、自分の中の気持ちを確かめる上でかなり大きな一歩でした。もうなにも感じないかもしれない。ただの観光地になっているかも。

 

阪急電車に揺られて河原町へ。懐かしさもない。ついこの間きた感覚だ。

 

どうしようか。とりあえず、河原町から八坂神社、清水寺祇園方面。錦市場へ行ってみるか。と歩きだす。

 

四条大橋を過ぎたあと。お香やら漬物やら出汁のようなものが入りまじった独特な京都の香りがぐっと押し寄せてきた瞬間ぞくっとした。

 

 

過去、わたしはかなりしんどい時期が何年も続いた。うまくいかない自分自身も身体もそのやり場のない気持ちをすべて京都で癒されたいた。京都へ訪れることで、自分を保っている部分があった。なにかに夢中になることで、痛みから逃れたかったのだ。

 

そうか、わたしは京都に興味がなくなったわけでなく、自分の痛みから抜け出すことができたのかもしれない。

 

そう思ったとき、京都という町がわたしの人生の中で大きく守ってくれていた時期があったことを知る。なんて、懐の深い町なんだろう。わたしはなにもお礼ができていない。京都という町を偏った感情でしか訪れていなかったのだ。

もっと京都を知りたい。

 

(歴史はいまでも大好きです^ ^)