日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

思ったこと

今年3月ぐらいからだんだん忙しくなってきて、その都度「根性」で乗り越えてきた部分があったけれど(令和の時代にふさわしくない…)、来月に新たな仕事が2つ入る予定で(一つは来週打ち合わせ)。もちろん「根性」は大事だけれど、それだけでは時間的に乗り越えられない気がしてきた。やっぱりライターを大切にしてくれる方、コミュニケーションを大事にしてくれる方と仕事を続けて行きたいなと……。おそらく消耗する仕事というのは、きっとそのコミュニケーションがうまくいっていない時なのかもしれない。大切にしてくれる……というのは、ライターの仕事を理解してくださる方で、たとえば収入に関しても作業時間に見合った単価を設定してくださるというのは、優しさの1つだなと……ってこんなことを思うのは、それにちゃんと応えられる仕事をしなくちゃというプレッシャーでもあるんだけれど、今日そんなことを思いながら仕事をしていた。状況って変わって行くんだな。もっと自分のレベルを上げたい。

雑記

今から娘のスイミング。観覧席でコーヒーを飲みながら、ぼーっとする時間が好きだ。仕事の資料を読んだり、雑誌を読んだりしながら、強制的にパソコンから離れる貴重な時間。スイミングのある日は、レトルトカレーと決めているので、夕飯づくりから解放されるのもかなりうれしい。木曜日を過ぎるとあっという間に週末がくる。そしてあっという間に2019年の半分が終わる。この半年間でいろんなことがあって、あと半年間もおそらくいろんなことがあるだろうけれど。それを乗り越えられる体力や気力を持っていたい。今できることを必死でやっている毎日が、なんか楽しい。

自分で選ぶということ

自分が幸せだな、たのしいなと思う時。振り返ると確実に「自分の意志で選んでいる」ものだということに気づいた。逆に、一方的に与えられることに対してはすぐにストレスを感じてしまう。

 

以前はそれに気づいていなかったので、よく病気になった。自分を犠牲にしても、相手を助けなきゃという思いは、一見自分の意志で選んでいるように見えるけれど、それは間違っていて、そういう時に限って体は正直に壊れていく。

 

何が言いたいのかというと、自分が今たとえ仕事で忙しくてもそれは自分で選んだことであってまったくストレスを感じていない。

 

けれどたとえば、娘といる時間が長くなった時。(学童に行かなくなったり、夫が忙しくて土、日も不在だったり。)仕事をしたくてもできないという環境や、娘と過ごすことを「ストレス」に思ってしまう自分に対して、それがストレスになった。

 

解決策が見つかったわけじゃないけれど、「自分の意志で選ぶ」ことに幸せを感じるのであれば、そういった状況も含めて自分で選んでいると思おう。本当に心の問題なんだけれど、それに気づいた時にふと楽になったのだ。

 

今ある環境を受け入れる。それを選んだのは自分。と客観的に見ることで一方的に与えられた時間にしないことが、今の私には大事だと感じた。

 

雑記

木曜日までにインタビュー記事3本。(できたら)日曜日までに海外記事14本、これはかなり追われていますね……できるんだろうか、でもやるしかないんだよね。自分で決めたことだから。焦ってもイライラしても結局同じで、いやそれよりもイライラして娘と衝突している方がもっと自己嫌悪になる。何かのせいにしたところで解決しないし。じゃあ、一歩ずつやらなきゃね。本当に。笑っちゃうね、ライター業。一歩ずつじわり、じわりと進めて行くだけが唯一の方法だもんね。でもそういう仕事が好きなんだよ、だったらがんばろう。とりあえず、(簡単にできて)おいしいものを食べて、睡眠もとって、部屋もすっきりさせて、気持ちよく乗り越える環境は自分で整えるしかない~あとは頭を働かせるだけだ。

 

まとめる力

きのういつもお世話になっている方から、セミナーや講演のまとめ記事を書いてみませんか。というお話をいただく。これまでやったことない新たな仕事だ。できるのか、どうなのか。けれどチャンスをいただけるのであればやってみたい。以前、別の方からも会議や対談をまとめてほしいと言われた。これは話の流れで、ふと持ち上がっただけなので、正式な依頼じゃなかったけれど、ライターにそういった需要もあるのか、ふむふむと思った出来事だった。たとえばライターがいない小さなweb会社などで、先方と打ち合わせをする時、誰かしらメモをとってまとめる人がいればかなり役に立てるのではと。会議に参加するか、音源をもらうかで。と、まあそれは置いておいて。「まとめる力、構成力」を鍛えておいて損はないはずだ。その力は今、取り組んでいるインタビュー記事にも活かせるはず。いろいろ学びたいことたくさんだな。

ターゲットを絞らない生き方

最近「ターゲットを絞る」という言葉をよく見かける。自分がやれることを発信すること、できないものは断ること。たとえば今の収入をもっと上げて行きたいとか、専門性を身につけたいとなると、ぜったいに避けられない考え方。

 

でも今のわたしにはそれができない。その一番の理由は、飽き性だからだ。今までの自分を振り返ると、「この道だ!」と思っていても(思い込もうとしても)、かならず別の道が現れる。わたしが勤められない理由の1つに「道が決められてしまう」ことの怖さがある。

 

もちろん、分散し過ぎて結局追いつかなくなったり、クオリティが下がってしまったり、キャリアを積んでいくことはできないかもしれない。けれど1年先の自分は、どんな仕事と出会っているんだろうと考える方が楽しいし、そういう楽しみを人生の中で持っておきたい。

 

と言いつつ、今はライターで稼ぐということにターゲットを絞っているのかも。うーん、とにかく、「苦手なもの」「合わないもの」からは躊躇せず離れていこう。それは時間がもったいない。

できないと思った時は

きょう納品分が終わった。これから娘のプール教室。今月から一気にインタビューのライティングの仕事が増えて(週5本)、他のことがなかなかうまく進められず、自分の要領のわるさを実感している。こういう時ってちょっとマイナスになりがちで、子育てとか、家事とか、お金のこととか、なんでこんなに不器用なんだろう、400字ほどの短いブログでさえ、なんで書けないんだろうと、できないことばかりに気になってしまう。完璧主義ではないんだけれど、「できない」という思いは、他の苦手な「できない」も引っ張ってくるんだな。でも、発端は「がんばったことに対してできない」のだから、こんな気持ちが現れてきたら「がんばってる証拠なんだよ」と思うようにしてみた。そうか、頑張ってるのか。インタビュー記事は、本当に毎回内容が濃くて勉強になる。記名記事で書かせてもらっているので、今後の営業にも使えそうだ。そろそろ、娘が帰宅する。14時55分。お昼ご飯を急いで食べたところ。