秋になり
9/10(月)10,211
9/11(火)8,259
9/12(水)3,721←午前9時の時点
稼いだ金額……
といいたいところですが、
これは歩数計アプリに表示された、ここ最近の数値なんです。
こんな話でなんかすみません。
日中の暑さもおさまってきたので、今週から1日1万歩を目指すことにしました。同時に、夕飯以降の(19時半以降)の間食をやめることに。
と、いうのも毎日22時半ごろ帰宅する夫に合わせてつまみ食いをしていたからです。
夏前から体重増加が止まらないと、焦っていたのですが、よく考えると、いやよく考えなくても、日頃の行いがすべて反映されているだけのことでした。
1日1万歩は、時間にすると約1時間のウォーキング。午後からの仕事前にさくっと歩けば気分転換もできて今のところ順調です。
他にも自分を変えていきたいところがたくさんでてきました。
「いつかはじめよう」と思って逃げているそういう考えもうやめよ!
を胸に秋を過ごしていこうと思っています。
届ける言葉
読んでいて内容がスッと頭に入ってくる文章もあれば、理解するまでに時間がかかる文章もある。
気力があるときは、難解なものに挑戦したくなるが、忙しかったり、疲れていたり、弱っている時はむずかしい文章を読むことができない。
そう思うのは、自分の理解力のなさが原因だとばかり思っていたが、
もしかしたら世の中はそういう人の方が多いのではないか。と考えるようになった。
忙しい人にとっては、読んで結局何がいいたいかわからないモヤモヤとした文章は時間の無駄だと考えるだろうし、
疲れていたり、弱っていたりする人はできるだけ、わかりやすいシンプルな言葉でなければ負担になる。一目見て、長すぎるものや、複雑な漢字が多く使われているものはその時点で拒絶されてしまう。
きのうこんなツイートをした。
「読み手に負荷をかけない、やさしい文章は思いやりです」と教わる。
— やまだ優子(ライター) (@gaeryuu) 2018年9月10日
わかりやすい、読みやすいは優しさなんだなと!そこを目指したい。
読んでくれる方の負担にはなりたくない。できるなら、読めてよかったと思える文章でありたい。途中で迷子にならないように道を教えてあげたい、一度で伝わるような簡単な言葉を使いたい、でも飽きられたくない。
書く仕事の奥深さを知るとどんどん深く、むずかしく考えてしまうけれど、届ける言葉はもっとシンプルでわかりやすくなければならないんだなと思った。
ふむふむ……
榊原温泉へ
ここへ行くと必ず元気が出る、新たな気持ちになれる、という場所が2つある。1つは、奈良県の大神(おおみわ)神社。もう1つは、三重県の榊原(さかきばら)温泉。
きのうは家族3人で三重県津市にある榊原温泉へ大阪から日帰りで行ってきた。
行きは高速道路を使わず約4時間かかったが、今回の台風21号の爪痕を実際にこの目で見てあらためて被害の大きさを知ることに。
ぐちゃぐちゃにつぶれてしまったガソリンスタンド、なぎ倒された巨木、壊れかけの住宅など、、関西空港の影響なのか、鹿が集まる奈良公園では海外からの旅行者が少ないことにも衝撃を受けた。
*
榊原温泉の歴史は古い。平安時代には清少納言が枕草子でこの温泉を絶賛しているが、温泉以外まわりに観光できるところがないため、全国的には知られていない。
たまたま8年前に、榊原温泉の「湯本榊原館」を人からすすめてもらってからは定期的に訪れるようになった。
榊原温泉の特徴は、とろとろっとしたやわらかな湯。
さらにこの榊原館にある「まろみの湯」は、源泉の温度が31℃と低いので、入ると心身共にきゅっと引き締まる。
冷たい湯に身体が慣れてきたところで、今度は温められた源泉の湯へ移動。
湯に浸かると一気に身体がゆるみ、ぞくぞくっとしてからじんわりと温まっていく。
これがたまらないのです。
冷→温→冷→温…いつまでも浸かっていられる温泉、他にあるのだろうか。
この湯に浸かっていると、いろんな思いが心に溢れてきて、いろんなことに気づかされる。冷えた身体が、温かな湯で一気にゆるむ瞬間、心の中に隠れていた本音も同時に出てくるような。
すばらしい温泉。
はじめの気持ちに戻る
子どもと遊んだり、本を読んだり、この週末はのんびりだ。久しぶりに仕事のことを考えずに過ごしている。
趣味の本^ ^読んでてワクワクしてくる。 pic.twitter.com/Lq8XtksN0K
— やまだ優子(ライター) (@gaeryuu) 2018年9月8日
フリーランスになった当初週末は、至急案件以外の仕事はできません!と伝えていたのに、なんだか最近自から仕事をしていたような。(仕事が遅いので少しでも進めたいというのがある)
いったん、はじめの気持ちに戻ろう。
「今度の休みは何をしようかな」とか「次の休みに遊ぶために頑張って稼ぐぞ」の方がずっと健全でメリハリがあるように思った。
*
きょうは、夫も仕事が休みなので、家族みんなで三重県にある温泉に行く予定。気分転換ができたらいいな。
赤ちゃんの頃から温泉が好きな娘。
もう抱っこして一緒に湯につかることはないんだなと寂しくなったが、
当時はゆったりと温泉に入れなかったことを思い出し、成長してよかったなと心から思った。
誰のために書くのか
この2日間、仕事に集中できてよかった…最近、ますます書く仕事がたのしい。記事を読んでくれる方を想像して、丁寧にわかりやすく書こうと、あたり前だけど大切なことに気づいて気持ちがかわったような。
— やまだ優子(ライター) (@gaeryuu) 2018年9月7日
大事なことだけど、忘れてた。
最近は、仕事が継続できるように、クライアントさんがどう思うか、納得してもらえるかばかりを気にして書いていた。それも大事なことだけど。
その気持ちの発端は、間違いなく「仕事を失いたくない」というマイナスなもの。そんな気持ちでは、仕事にやりがいがもてない。評価を気にしてばかりいると在宅の仕事ですら消耗しますね。
仕事を通じて仏教のことを学ぶようになってからは、すべてに原因と結果があると考えるようになった。(仏教ではすべてに因果があるとされている)
その因果を仕事にあてはめてみると、消耗してしまう仕事のやり方には、根本的に抱く「考え方」に原因があったのかもしれない。
記事を読んでくれる方に、丁寧な言葉で伝わるように書こう。これって接客をしていた気持ちと同じだ。わたしは接客業が好きだ。だから同じような気持ちでいられる「書く仕事」が、また楽しいと思えるようになったし、もっとがんばりたいと思った。
「大変さ」の比較はしたくないなと思った
朝から娘と些細なことで喧嘩になった。
娘は自分が嫌な思いをしたからという理由で「おかあさんにあやまってほしい、ごめんねっといって」と強要してくる。
わたしとしては、嫌な思いをさせようという気持ちはまったくなかったので、ぜったいに謝るもんかと意地になる。
私「じゃあ、どっちが悪いのか、保育園の先生に決めてもらおう」と先生に判断を委ねることを提案すると(親としてどうなんだ、という問題はある)、娘はあっさりと引き下がった。ただわたしの中でモヤモヤが残る。
娘にたいして、「ごめんね」の一言をさらっと言えばすむ問題だったのに、なぜか頑なに言いたくないという自分のキャパの狭さ。もとをたどれば、自分自身の問題。
台風21号の影響でまだ普段の生活に戻れない人や、
今回の北海道地震で大変な思いをされている人たちもたくさんいる中で、(それ以外にも大変な人はたくさんいる)
自分が経験をした台風の被害なんて比べものにならない。
1日停電したので、買いためていた冷蔵庫の中身をほぼ捨てたぐらいだ。
命も家も助かった。それなのに、冷蔵庫の中身をもったいないと感じた自分の心の狭さ。もっと大変な人がいるなかで、こんなことで落ち込む自分自身にイライラしていたのだ。
今回のことで思う。
今後、なにかまわりで起きたときは、「大変だったね」の一言にしよう。
けっして「○○しなくてよかったね」など、大変さの比較はぜったいにしないようにしようと思った。それは、本人が決めることだから。
日常とは
明け方、北海道の地震のニュースをみて言葉を失った。現実に起こることがひどすぎる。なんと言ったらいいのか、、ひとりでも多くの方が助かりますようにと心から願うことしかできない。
台風で停電と断水をしていたわたしの住む地域では、昨日電気と水が復旧をした。
たった一晩でも電気や水が使えない生活は途方に暮れる。
話によれば、尼崎は今もなお町全体が機能停止していると聞いておそろしくなった。まだまだ復旧を待ち望んでいる人たちがたくさんいる。今回の台風だけでなく、これまでの災害でもまだ立ち直っていないところは多いというのに。
*
娘が保育園へ行き、いつもの日常が戻ってきたけれど、そもそも、日常とはなんだろうか、と考えずにはいられなくなった。
よいこと、あたり前なことを「日常」だと考えてしまうと、それ以外のことが起こった時にすごくつらい気持ちになる。
逆に、災害や病気、ケガといったよくないことも、ひっくるめて起こるのが日常だと思えば、「生きているだけでありがたい」と感じるのかもしれない。
生きている以上、よりよく生きたいと思うのは+αな部分かな。