そこでストップせずに
糸井重里さんの「ボールのようなことば。」の中から。
「聞く」っていうのは、
もう、ほんとにすごいことなんだ。
しかも、誰にでもできる。
「言う」人は、聞かれたいから言ってるんだからね。
よく「聞く」人と、いいかげんに「聞く」人の差は、
あきれるほど、どんどんと開いていくものなんだ。
人っていうのは、「聞く」人に向かって話すからね。
こいつは「聞く」な、と思えば、
その人のために、どんなことでも話すようになる。
ことばそのものを「聞く」だけじゃなく、
ことばの奥にある「気持ち」だって、
「聞く」ことができるようになる、だんだんとね。
「聞け。とにかく聞くことだ」。
一生懸命に聞く、馬鹿にしないで聞く。
わからなくても聞く。わかっていても聞く。
知ってることでも聞く。聞くまでもないことでも聞く。
おもしろくないことも聞く。
黙っているものからも聞く。
視線を向けて聞く。よい姿勢で聞く。
耳を澄ませて聞く。
見ることは愛情だと、かつてぼくは言ったけれど、
聞くことは敬いだ。
聞かれるだけで、相手はこころを開いていく。
聞いているものがいるだけで、相手はうれしいものだ。
この文章と出合ってはっとした。
いっしょにいてわくわくする人、好きになる人、安心できる人……自分が今まで出会ってきた中で共通しているのは、しっかりと話を聞いてくれる人だった。そういう人がいる、いない、では日常が大きく変わる。
逆に、一緒にいてそわそわしたり、緊張したり、さみしくなる時は、自分のことばが伝わらない時で、受け取ってもらえていないと感じるからむなしい。自分が届けようとしても、相手が受け取ってくれる意思がなければ、もうどうしようもできないことで。無理に届ける必要もない。
と、たぶん、今まではここでストップしていた。
けど、自分が届けることばかりで、ちゃんと聞くことができていなかったのでは。