日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

さっそく…

きのうのブログで、仕事と生活に区切りをつけるために、仕事は平日17時まで!と決意したのにさっそくそれができず、深夜に働くという…とりあえずきょうは無理せず早めに寝て、明日は早朝から17時までを目標にがんばろう。きっとここでリズムを崩してしまうと(っていうよりまだリズムはできていないけれど)、これまでと生活が変わらない。自分でもわかってる。

 

これからは自分の時間(家族や友人との時間)と働く時間とのあいだを、旅をするようにいったり来たりするような、そういう毎日をつなげていきたいのだー!それにはつよい意志と集中力にかかっている。

仕事と生活に区切りをつけられるか

何度もブログに書いてきたが、仕事は平日17時まで、土日はしっかり休むという生活に変えたい。仕事と生活を区切らないと、時間があれば土日でもずっとパソコンに向かってしまうし、遊んでいる間も仕事が気になる。至急案件で納期がやばいとき以外は意識して仕事と生活を切り離してみる。本気でその生活を取り入れたら、自分はどれくらい在宅の仕事で成果をあげられるだろうか…(この3年間、24時間体制で仕事をしてきたことに後悔はないが、逆にいま燃え尽きたようにも感じている。変化していくチャンスなのかも)

 

そして今、世の中がものすごい勢いでデジタル化が進みオンラインで仕事をするのが当たり前になってきたからこそ、オンラインだけじゃなくあえて直接人と関わるような仕事もしていきたい。

おやつはバナナ

きのう娘と娘の友だちとの会話。

 

わたし「おやつバナナでいい?」

娘・友だち「いいよ」

わたし「そういえばこのあいだ、娘ちゃんにバナナの皮を仕掛けられそうになったよ」

友だち「つるって転ぶもんね」

わたし「そうそう。けど、バナナってさ本当につるって転ぶのかな」

友だち「車にはぜんぜん効き目がないみたいだよ。ふまれちゃう」

わたし「(車…?マリオカートみたいなのかな…)」

娘「そうなんだ~」

 

友だち「じゃあさ、犯人にバナナの皮仕掛けようよ。200個くらい」

娘「それいいね!つるっていくよね」

わたし「(か、かわいい…)どうやって200本のバナナの皮集めようか。1日じゃ食べきれないよ」

友だち「学校の給食だったら1日でいくでしょう、余裕に」

娘「じゃあそれを運んで(全身を動かして)、道に並べよう」

わたし「犯人にすぐにばれるんじゃない?あっバナナの皮だって。200本分あるんだもん」

 

友だち「じゃあ穴ほってバナナの皮をまとめて入れよう」

娘「いいね、こうやって犯人が穴に落ちて(穴に落ちるフリをしながら)、おっきく空に向かってつるっと~(2人そろってつるっとポーズをとる)」

 

こういう会話がたまらなくおもしろい。いつまでも聞いてられるなぁ。

 

子どもの「好き」を見逃さないように

gaeryuu.hatenablog.com

2年前はこんな日々だったのか…

 

8歳の娘、今のブームといえば、

スイッチ→ピクミン3デラックス

漫画→鬼滅の刃

本→銭天堂

歌→YOASOBIの「夜に駆ける」…よく聴いて歌っている

 

半年くらい前まではとにかく「ドラえもんが大好き!」と言っていた娘。気づくと人前でドラえもんの話をしなくなった。それでも毎週録画して「ドラえもん」はみているし、ユーフォーキャッチャーで取ったでっかいドラえもんのぬいぐるみや、自分のお小遣いで買った「どこでもドア」のクッションはまだ部屋に飾っている。でもいつかそれも「お友だちが来るから片付けて…」って言うのかな。

 

わたしとしては娘のブームにちゃっかり乗っかってその都度楽しんでいるので、突然娘から「プリキュアはもうみない」と言われたり、「アンパンマンのおもちゃはもういらない」と言われたときはさみしかった。まぁ本人が「子供っぽいのをみていた自分が恥ずかしい」と思うのならしょうがない。それも成長の証だ。だからこそ「これ今、すごく楽しい!!ハマっている」ってときのタイミングは逃したくない。

 

本当は11月に一緒に行く予定だったドラえもん映画「スタンドバイミー2」。感染者が増えて映画館が行きにくくなってしまった今、ますます娘の気持ちはドラえもんから離れいくんだろうな…何だかもどかしいな。

 

 

 

新明解国語辞典

きょうは新明解国語辞典の第八版の発売日。どうやら9年ぶりの全面改訂らしい。

 

わたしが新明解の第七版の辞書を手に入れたのは2014年。当時は専業主婦で2歳の娘を育てる日々の中、なんの脈絡もなく突然プライベート用に国語辞典が欲しくなりAmazonで注文した。3000円以上する辞書を思いつきで買うには高い。けれど辞書を手に入れたら、「新しい世界が開けるかもしれない」となぜかそのときの自分は思っていたのだ。

 

しかし注文して届いたのは正規のサイズではなく【小型版】だった。意を決して選んだはずがサイズを間違えてポチってしまうなんて、そんなしょうもないミスってある?返品するという選択肢も思い浮かばないほど、ドジな自分が情けなくてたまらなかった。

 

けれど今振り返って思うと2014年はわたしにとって大きな転機となった年。国語辞典を手に入れた1~2カ月後に偶然Webライターという職を知って、勢いでクラウドワークスに登録し、専業主婦の傍ら記事を書き始めたのだから。

 

その後、育児との両立がむずかしくて体調を崩し、ライター業をやめて企業に2年半勤めたけれど、やっぱりライター業が諦めきれず、2018年にフリーライターとして独立して今に至る。

 

あの時「今いる世界を変えたい」と強く思った気持ちが、結果的にライター業に出会わせてくれたのかな。そんなことを今回の全面改訂のニュースを見ながら思い出していた。

 

(小型版の文字が小さすぎるのが悩み…)

 

 

 

ひとりごと

今更だけど…cakesの「ホームレス記事問題」にすごくショックを受けていた。こういった社会問題に対して「わたしはこう思う」とネット上に書くことすら怖い。それでもやっぱり1番初めに感じた「記事の違和感」と、cakes編集者がホームレスを観察対象としての「生き物」と表現したことが忘れられない。逆にこの記事の問題に対して、違和感を持たない人たちがいることを知った。視点が変われば物事の受け取り方は違うことに改めて気づかされる。(その気持ちもわからなくはないんだけれど…)。ただ一つ言えるのは、世の中に発信するためには、それを裏付ける知識と相手に対する配慮や敬意は絶対に必要だということ。逆の立場だったら自分はどう思うか。という視点だけは失ってはだめだなと思う。(最近の流行りなのか、タイトルで「~したら~だった」というのをよく見かける。面白い記事もあるんだけれど…なんだか機械的で冷めた印象を受けるのも今回気づいた…)

 

日記

週明けの月曜日。朝から猛スピードで仕事をしていたが、うっかり可燃ごみを出し忘れているのに夕方気づいてショック。1つのことを集中すれば、1つのことを忘れる、単純すぎる。次のごみ収集は木曜日か。出し忘れたらどうしよう。なにげない「ゴミの出し忘れ」からゴミ屋敷は始まるのかもしれない。20代の頃、あまりにも疲れていて、降りる駅になるとぜったいに寝過ごし、それを何回か行ったり来たりしながら、もうこのまま帰れないんじゃないかなと思った自分だ。やらかしかねない。さて、急いで納品をして今から娘の歯医者へ。娘はきょう学校でうれしいことがあったからか、めちゃくちゃテンションが高い。わたしもよく浮かれやすいので気持ちがわかる。ふざけてバナナの皮をわたしが歩くところに仕掛けようとしていたのはさすがに注意をしたけれど。楽しそうな娘を見ていると私まで笑っちゃうな。きょうの夜は麻婆豆腐だ。買い物に行ったのに、大事なネギを買い忘れている。また買いに行かなければ。無駄な動きが多すぎる…