日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

つらさに優劣はない、亡くなった人のこと

わたしは2010年の終わりに親しかった年上の女性を自殺で亡くしている。そのことを思い出すと、当然のように当時の自分も、その時の状況も、抱えていた気持ちも全部思い出してしまう。けれどすぐに東日本大震災があって、わたしよりももっともっとずっと大変な思いをしている人たちがたくさんいて、社会全体がもうそれどころじゃなかった。その後2012年に娘が生まれて、あっという間に月日が経って今に至る。

 

なんでこんな話を書いたかというと、最近仕事の案件で依頼されている「自殺と精神疾患」についてずっと考えているからだ。と、わたしも一種のトラウマなのか当時のことを思い出すと決まって頭が重くなり、すごくしんどくなって、文章が書けない。きっとそのときちゃんと辛い気持ちを乗り越えなかったからだな。と。

 

当時はびっくりしたけれど、今にして思えばいたるところでサインはあった。けれど、気づいちゃいけない、探っちゃいけない部分があったし、気づかないことがやさしさだと思っていたのかもしれない。(わたしはその人にとって最後の5年間はすごく近い存在だった)

 

でもきょうの朝、何がきっかけになったのかわからないけれど、本当にかちっと自分の気持ちが動いたのがわかったのだ。自殺しちゃうくらいしんどい想いを抱えている人も、自殺で大切な人を失うのも本当につらい。その辛い想いには、優劣はなくて、どんな人も辛いもんは辛いんだ。この仕事を通して誰か救われる人がいれば、自分の経験はむだにならないのかもしれないと。ぼーっとかすんでいた頭の中がクリアになったのを感じた。

 

当時を思い出して辛い気持ちにひたるんじゃなくて、今できること、ちっぽけな自分でも今の自分ができることで、誰かが救われるきっかけになれればと、心の底から思ったのだ。

 

(そしてその女性を想うと、わたし本当にお世話になったのに、ちゃんと感謝できていなかったなと今になってさみしくなる)