愛着を感じる場所
友人は物持ちがいい。
今年買ったばかりのわたしの鞄。徐々にチャックの部分が壊れはじめてきたと嘆いていたら、
「わたしのこの鞄、20年以上ずっと使っているよー」と、教えてくれた。
友人は、鞄だけでなく、靴、洋服、小物類などとの付き合いがとにかく長い。10年、20年はあたりまえのようだ。
それらはけっして、時代を感じるようなくたびれた感じではなく、素敵だな、センスがあるなぁとほれぼれとしてしまうもの。
年齢とともに、自分の好みの色や雰囲気がわかりだしてきたわたしにとっては、信じられない話。モノに対する感情は、この20年間を振り替えるとものすごくブレながら今にいる。
友人は、20年以上前から(もっと前からかな?)ずっと、好みは変わらないんだとか。そうか、だから物に対する愛着が深いのか。大事にできるのか。
『物持ちの悪い=好みが変化して』きたわたしは目から鱗の発見でした!
これの答えが見つかった気分。
大雑把なわたしは、友人が1つ1つモノを丁寧に扱う姿(それも自然に)をみていつもハッとする。…どんなモノでも乱さず静かに愛情をかけているのです。本当にすごい。
— やまだ優子(ライター) (@gaeryuu) 2018年7月7日
でも、今このブログを書いていて気がついたけれど。
わたしは「書く」ことに対するワクワクする気持ちは、たぶん小学生の頃から変わらないし、この20年間、村上春樹や江国香織、吉本ばなな、などの作品はわたしの中でまったく色あせていない。
わたしにもあった、変わらないモノ。大事にしたいもの。人それぞれ持っているものが違う。それがおもしろい。