日々、書く仕事

2018年からライターへ。ずっと心の中で思い続けてきた「書く仕事」がしたいという気持ち。これまで遠まわりもたくさんしてきたけど、本音で生きることに決めました。

日記

午前中、娘の学習発表会を見に行き(合唱と演奏…娘は木琴を担当)、午後はひたすら仕事。娘は学校から帰ってきた瞬間、いつものようにランドセルを放り投げて遊びに行った。暗くなる前には帰ってくるけれど、それまでどこで誰と遊んでいるのやら…そろそろ娘用の携帯が必要か。きょうは新しくインタビューと旅行系の依頼を受けた。旅行系からはずっと離れていたけれど、今はどんな仕事でも金額関係なく「やります!」モードなので迷いなく応募したら受かった。一方、なかなかOKがもらえず構成に2カ月ぐらいかかったビジネス系のSEO記事。きょういったん記事を提出できたのがうれしくていつもよりも心が軽い。明日は晴れ予報なので友だちとランチのあと紅葉をみにいこうと計画を立てた。

ゆるさがちょうどいい

ここ最近、ブログをほぼ毎日更新しているけれど、以前見に来てくれていた方がまた見にきてくださっていて…本当にありがとうございます。(わたしも見てます!)世の中いろんなコンテンツがある中で、貴重な時間を割いて個人ブログに来てくれるって本当にすごいことだ。

 

たとえばこのブログが1円でも入る仕組みだったり、NOTEのようにサポート制度があるものだったら、ハードルがぐっと上がって好き勝手に書いたり、休んだりができなかったかもしれない。でもこの「はてなブログ」は自分が書きたいときに開いて、発信して、また日常に戻っていくにはちょうどよいゆるさで。

 

何かプラスになるような情報を書けるわけでも、おもしろい文章が書けるわけでもないけれど、自分が肩に力を入れずいられる場所はとっても貴重。これからも大事にしていきたい場所だなと感じている。

 

さてきょうも朝からSEO記事に奮闘していて(本格的なものははじめて)、なかなか終わりが見えず、気分を変えたくて少し遠くのセブンまで足をのばした。街中がやけに明るく感じたのは華やかに色づいた木々のおかげ。家に戻ってきたときはすっかり元気になってた。

慣れない仕事

先日、書いたこの記事。

バッテリー問題… - 日々、書く仕事

パソコンのバッテリー交換のやり方に悩んで、もう一度サポートセンターに相談したところ、「ACアダプター(コンセント)をさして使えば、パソコンのバッテリーは交換しなくてもOK」と言われた。前日の担当者からは「すぐに交換を!」と、交換マニュアルまで添付されてきたのに、担当者が代われば教えてくれる内容も大きく変わるとは。ネットに弱いと、何が正しくて、何が間違ってるかわからないまま、言われた通りにしかできず…こういう時ITに強い人が近くにいてほしい。(とりあえずバッテリーを交換しなくて済んだので、ラッキー。)

 

今週は慣れない仕事に気持ちが弱気になってしまい、「外で働いて、家ではゆっくり過ごしたいな」と気持ちが揺れる一方、「今の状況だと短時間でしか働けないから、結局ライター業の方が効率がよいな」という考えに戻る。とはいえ、40代、50代、60代…とわたしはこのままライター業を続けていられるのだろうかと、不安になったり。先日、友人に「これからどんな風になりたいのか」と聞かれたのだけれど、「いくつになっても、仕事がある状態」としか答えられなかった。将来を考えて気持ちが揺れるのは、きっとどの職についても同じ。生きていく限りその悩みはずっとついてまわるのだろうな。

娘がイライラしたとき

娘が「〇くんが許せない!」と怒って学校から帰ってきた。話を聞くと、5時間目の体育の授業に男の子が蹴った足が娘の腕にあたったらしい。わざとじゃなかったみたいだけれど、蹴られたことよりも謝ってくれなかったことに対して腹を立てていた。

 

「許せない、むかつく、くやしい、痛かった」いろんな感情が混ざってものすごいイライラをぶつけてくる。これまでならそのとげとげとした娘の言い方やイライラを、私もストレートに受け取り過ぎてしまい「友だちに対してむかつくとか、そんな言い方はよくないよ」とか、「わざとじゃなかったらしょうがないよ」と返しては火に油を注ぎまくっていた。

 

けれど大人になっても、腹が立つことや、悔しいことは起きるし、そのときに正論を言われてもまったく響かないんだよな…と思い出して、きょうは100%娘の想いに寄り添ってみることにした。

 

「急に蹴られたら痛いよね」「謝らない〇くんは良くないよね、許せないのは当然だよ」と返すと、娘は思い出してさらに悪態をつく。それをうんうんと聞きながら、砂糖を多めに入れたミルクを電子レンジで温めておやつの準備をする。そしてタイミングをみて、「なんかイライラするときにカルシウムってすごくいいみたいだよ」とミルクを差し出してみた。

 

「絶対にイライラはおさまらない」と娘は言いつつも、少しずつ娘の気持ちがほぐれて落ち着いていくのが表情でわかった。そして時間が経ったあと、すっきりとした笑顔で「ありがとう、もう大丈夫」と私に伝えてくれた。

 

その一連の流れがあまりにもうまくできていたので、ドラマじゃんと吹き出しそうになったけれど。いかにこれまで、娘の気持ちに寄り添ってあげていなかったかをを実感した。ただ、味方になって話を聞いて欲しかったんだな…なんで上から娘の「怒り」を押さえつけるような言い方しかしてあげられなかったんだろう。

 

バッテリー問題…

 

ということがあって、午前中自転車で20分の電器屋から帰ってきたあと、急いでサポートセンターにメールをした。それまで勝手に充電器側に問題があるとばっかり思っていたのに、どうやらパソコン内部のバッテリー交換が必要らしい。ノートパソコンを分解?して自分でバッテリー交換するの?無理無理。「パソコンを郵送してくだされば有償で交換しますよ」、なんて簡単に言われてしまったけれど、手元にパソコンがなくなるのはめちゃくちゃ困る。調べてみると、梅田のヨドバシカメラDELLの店舗があるではないか…明日、ノートパソコン持っていったら、バッテリーをその場で交換してくれるのかしら。(結局、現物を店舗に持ち込むことしか考えられない…)

自分の「言葉」

2017年12月から始めたこのブログ。当初は書く練習のため毎日更新をしていたが、今年はほとんど更新することができなかった。1つはライター業が忙しかったという理由はある。けれど、本当の理由は自分の言葉を見失っていたからだ。

 

仕事が忙しくなればなるほど、早く仕事を進めるために型に頼った文章を書いてしまったり、誰かの言い回しをうまく繋げているような(コピペをしているわけじゃない)気持ちになったり。そんな毎日を過ごしていると自分で考える力がどんどんなくなっていく。

 

先日、高山なおみさんの『本と体』を読んだ。そのなかで写真家の斎藤陽道さんと手記を通じて「言葉」「ことば」について語り合う場面があるのだけれど、耳の聞こえない斎藤さんの言葉には”うそ”がなく感じたし、それにちゃんと向き合おうとする高山さんもすごく真摯で…

 

わたし自身、忙しさにかまけて、急いで文章を書いたり、言葉を発していたことが急に”つくりもの”(ホンモノの反対)をしているような、いろんな感情にとらわれた。

 

ライター業にとってクライアントが求める早さは大事。身を削るような思いで書いていたら身体がもたない。けれど自分が”つくりもの”をしているような仕事はしたくないなと思ったのでした。

 

 

13年目の町で思うこと

11月に入って少し仕事が落ち着いたので、自分を取り戻すかのように、美容院へ行ったり、眼科へ行ったり、買い物をしたり。そんな中、新たに喫茶店を開拓しようと2カ所まわってみたけれど、偶然どちらとも知り合いが働いていておどろいた。(別に悪いことをしているわけではないのに、働いている中ゆっくり寛いですみません、的な気持ちになる。)

 

とはいえ、こじんまりとしたこの町が嫌いじゃなくて、12年も住んでいればどんどん愛着がわいてくる。たとえばコンビニで作業服を着たおじさんとすれ違ったとき。「どっかで見たことあるなぁ」と考えて、あっ先日うちに来た人だ!と腑に落ちる瞬間だとか、お世話になった不動産屋の人がスーツ姿でパンを物色しているところを見かけて、「まさかパン屋さんで会えるとはなぁ」とうれしくなる。根は人見知りなくせに、縁があった人に会うとわくわくするのはなぜなんだろう。

 

さて、今クライアントさんからの連絡まちの案件が3つあって、どのタイミングで話が来るのだろうと(おびえ?)思いつつ、待ちの姿勢でいるのもよくないぞと、この3年弱のフリーランス生活で学んでいるので、できることをどんどんやっていこう。