できること、できないこと
きのう、大阪在住のライター、ということで取材案件をTwitter上からいただいた。すごく大きなメディアだったが、取材が未経験なので、取材先にアポイントを取ったり、取材地の人や候補地の企画書をつくったり、という仕事をしたことがない。時間も予算もわからない。けれど、もしかしたら仕事の幅を広げる上ですごくチャンスかもしれない。
先方へは、わたしの今の現状を正直に伝えたうえで判断をしてもらおうと思った。積極的にやりますという返事ができなかったので、そんなライターには声はかからないと思う。くやしいというよりも、これが今の自分なんだと思った。
ライターとして成長をしていくためにいろんな経験をしていきたいが、今の現状から見えないところへ踏み込むこと、気持ちの面で躊躇しているのではなく、稼働時間が見えないもの、、家庭との両立ができるのかで自分にブレーキをかけてしまう。それをいい訳にはしたくないんだけれど。
娘が大きくなればまた環境もかわる。自分ができることを積み重ねていきたい。
Twitterだった
きのう、お世話になっているクライアントさんから、突然「お寺関係の文章って得意ですよね」というメッセージをもらった。そこでは、まったくちがうジャンルの記事を納品しているので、びっくりしてチャットワークのやりとりを遡ってみたが、自分からお寺の記事が得意ですよーと言ったことがない。
そうかTwitter。わたしもクライアントさんがどんな人なのか、どんな企業なのかSNS(Twitter)をされている場合は、つい見てしまうけれど。逆も然りで、どんなライターなのか、なにができるのかなどはチェックされてあたり前だ。プロフィールに神社仏閣と書いているわけで。
ネット上に自分の言葉を発信するからには、責任を持たなければなと気が引き締まりますね。そしてやれること、やりたいことはできるだけ発信した方がよいのかもしれない。(でも大きく見せるとあとから疲れてしまうので、できるだけ等身大でいたい)
名刺
連休中にはじめてライター用の名刺を作ったが(後日届く)、思うがままに日々書いているこのはてなブログを名刺に載せる、、ことができなかった。今さらながら、ワードプレスで一から自分でブログを立ち上げることができますよ!っていう力は、結構大事なことだったんだなと気づく……
今回はシンプルな名刺になってしまったが、実際に名刺を作ってみると、いつか名刺に載せられるようなブログを作りたいし、魅力的なキャッチフレーズを見つけたい、どうせならオリジナルなデザインにしたい、ロゴがほしいなど、次から次にこだわりたい部分が出てきてしまった。
けれど、ブログは日々、運営をして行かなければならないわけで、、ブログよりも、一目でわかる実績などのページをどこかに作っておいた方が現実的かもしない。
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名刺入れは、無印のステンレス製のものにしてみた。
時間の流れ
ふと思い下記をツイートしたところ、思った以上に反響があった。
娘が2歳の頃、在宅で8カ月がんばったがダメでwebライターを一度諦めた。その後、娘は保育園へ。私は2年半建設業の事務職で働いていたが諦めきれず再びライター業へ…この中小企業に勤めた経験ってのが今のライター職に活かされてる気がしてならない。遠まわりのようで遠まわりじゃなかったなと、ふと。
— やまだ優子(ライター) (@gaeryuu) 2019年2月8日
もしも大手企業であったら業務の一部分しか携わることができなかったかもしれないが、小さな企業だったので人間関係も業務内容もいろんな面で濃く盛り沢山だったのだ。当時はその企業でがんばっていく気があったし、ゆくゆくは消防設備の資格を取ろうとまで考えていたのに。
ここでの経験がなければ、中小企業の記事執筆はできなかったはず……いや、それよりも、webライターの仕事に戻っていなかった可能性の方が高いので、そう思うと、人生はどう動いていくかわからないものだなと。
雑記
詳しくは書けないが。親しい人が大きな悩みを抱えているので、とても苦しい。私は話を聞くしかできないが、よい方向へ行けばいいなと本当に思う。ところでよい方向って何だろう。乗り越えるために痛みを伴うことすらしょうがない、という考えがあるとしたら、わたしはどうしてもその考えが苦手だ。とくに大事な人が痛みを味わうことになると思うだけで苦しくなる。(この数カ月間ずっとめぐる気持ち)
以前は、痛みや苦労を味わった人間は強くなれると、そう思っていた時期もあるけれど、そんなことない。痛みや苦労で死んでしまう人もいるのだ。たとえ死ななくても、失ってしまった時間はもう戻らないんだよなと、思う。
子どもと在宅勤務
午前中、小学校の入学説明会に参加していたお母さん方が、午後から出社するために急いで保育園へ預ける様子を見ていて、これから職場へ出勤するのだ、なかには電車に乗って行く人も、大変だろうな、、と思いながら娘と一緒にぬくぬくと家へ帰ってきた。
が、家でお母さん仕事をするね!といっても、一緒にいればおしゃべりは止まらない。わかってはいたが、ドラえもんのひみつ道具を1つずつ丁寧に説明をしてきたり、ベランダで縄跳びをするから数えてほしいと言われたり、結局わたしも娘も消化不良で午後が過ぎ去っていった。
やはりまだ在宅で仕事をしながら子供を見ることは無理だろうなと実感したできごとでした。
でも、こういう時期もあともう少しなのかもしれない。娘が一人で外出するようになったら、今度はどこでなにをしているのか、帰りを心配して待つ自分が想像できる。
保育園卒園が迫り、1つずつ親元から離れていくためのカウントダウンがはじまっている気がして、それはそれで、寂しいのです。